JRA通算1918勝(重賞93勝)のダービージョッキー
藤田伸二の”最後<引退>”は突然だった・・・
9/6(日)
この日2鞍の札幌競馬での騎乗を終えると、
JRAの裁決委員に「騎手免許取消願」をさっさと提出、
コメントも残さず競馬場をあとする異例の行動に出た。
そこに垣間見えるのは<JRA(サイド)への反発心>
藤田伸二騎手の公式ブログをプロデュースする
競馬ポータルサイト「UMAJiN(ウマジン)」に掲載された
本人直筆のコメントによると…
「数年前からエージェント制度の強調により、
騎手の腕など関係なく成績に偏りが生じて
地方や外国人ジョッキー主体の流れが強くなりました。」
「一生懸命に調教を頑張っている連中の活躍の場もなくなり、
昔のようにピリピリとして切磋琢磨な勝負の世界には程遠い環境に
なっているのが事実であります。」
「エージェントにより
リーディングの順番が年頭から決まっているような世界。
何が面白いのか?」
「競馬に対するモチベーションが無くなってしまった」という
最大のポイント(本音)は、
「私を応援してくれていた少数のオーナーさんのお陰で
今日まで乗り続けてきましたが、
これからダラダラ続けても
ファンの皆様に落ちぶれたと思われるのも不甲斐ないし、
いつまでも競馬会にしがみつきたくないのが本音です。」
という部分
裏を返せば
<有力なオーナーサイドが応援してくれなくなった>
ということ
これは2012年に
アサヒ芸能に出たゴシップ記事
『勝てない天才・武豊<社台グループに干された>屈辱生き地獄』
というショッキングな記事を思い起こさずにはいられない。
時を同じくして藤田伸二騎手も、
2011年にG1を3勝したのを最後に成績が急降下
ココ4年間重賞とも縁がなくなっていた。
藤田伸二騎手は、
武豊騎手が面倒を見ていた後輩で
よき理解者でもあったのだろう。
武豊騎手のコメント
「1か月前くらいに本人から(引退を)聞いていた。
長い間一緒に乗っていたし寂しいですね。
いろいろ個性が強いジョッキーだったけど、
僕にとって本当に最後までずっとかわいい後輩だった。
ここ数年はいろいろと悩んでいる感じだったし、
つらいこともあったと思う」
その個性的で真っ直ぐな部分も裏目に出たのかもしれない。